辞職
私は、大阪維新の会から公認をいただき、茨木市議会議員に立候補し、初当選させていただきました。
茨木市議会議員就任後、新人議員としての充実したスタートをきることが出来ていたと思います。
しかしながら、令和3年8月、思いがけず深刻な病に倒れてしまいました。
議員としてこれからという矢先の重い病の発覚であり、失意の底に沈みました。
公務についても長期欠席を余儀なくされ、議会と市民の皆様に対し、大変心苦しい思いをし、大変なご迷惑をおかけしてしまいました。
もちろんこの病気の経過を案じて、辞職の2文字が頭をよぎったこともありましたが、幸い周りの皆様のご協力とご理解のもと、令和4年3月まで治療に専念させていただきましたおかげで、ひとまずの回復に至ることが出来た身としては、やはり市議会議員として任期を全うさせていただきたいとの思いで、令和4年5月に復帰させていただきました。
復帰に当たりましては、茨木市にも身体に不安を抱えながらお仕事をされている方もおられるはずで、そういう人たちの声を議会や市政に届けられる役割を担えるのではという市議として1年前には想定していなかった視点を持つようになり、許されるならば公務は続けたいと願っていました。
任期全うの責任を果たしたい思いで病気療養から復帰させていただいた一方で、復帰後も継続する治療薬の副作用と術後の後遺症等に向き合いながら定期検診も欠かせず、日常生活においても何かと制限付きという自身の身体管理が重要な毎日でしたが、6月の検診にて、あらたに厄介な後遺症発症の可能性を指摘されたことを機に、以前のように一議員として活動することは困難と思うようになりました。
さらなる後遺症の症状がいつ本格化し、さらに悪化するか分からない不安を払拭することはできず、自身の健康管理を最優先せざるを得ない状態と対峙して、このまま議員を続けて十分に責務を果たすことができるだろうか、ご迷惑をおかけすることになるくらいなら辞職することも責任ではないかと葛藤した末、やはり十分な議員活動と責務の全力遂行が望めない状況を継続することは忍びなく、公職を退く決断に至りました。
健康上の理由とは言え、市民の皆様の負託に全力でお応えするという責務を全うすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
令和4年7月4日、茨木市議会議員を辞職いたしました。